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拍手ありがとうございます~WJ感想で来てくれてるお方もいらっしゃるみたいですね!けっこう自由度の高い感想なのでどうか御気をつけて!あくまでも個人的な感想ですからね!!モエモエもマジもいろいろあるので注意してくださいね~♪
新OP透明だった世界
自来也はきっと『うずまきナルト物語』を彼岸で書いているのだと分かったらまた涙が出てきた。前のサクラのEDと重なってるんだな・・・。あの時は綱手ももうこのまま行ってしまうのかもしれないと(原作で)思ってたからそこからの快癒がやっぱりスゴイな・・・そうか意識不明状態の綱手が向こう側に渡ろうとしたのをに子供自来也と子供大蛇丸が来てくれて三忍でちょっと遊んだあと、還らせたのかな・・・。そういう解釈ですかね。アニメのOP/EDは原作の展開とも連動してあるように見えるのでそうかもしれない。
やはり二次創作なんだよな。
彼岸で自来也は次回作を書くことにした。
自来也の紡ぐ言葉が。コード化された情報『うずまきナルト物語』としてあの世界の外側からナルトの世界をとりまいて、それが現実化する。
そういう超展開を希望・・・何アニメそれは!?
一昨日はアスマのことについてつらつら考えたが、自来也の死のことについてもいろいろと考えた。連動しているものだからな・・・。
全ての死が(生も)連動したものだからな。
自来也のことに関してはとりあえずまだまだ浅いところでしか理解していないから。とりあえずは大蛇丸について。
これもまだやっぱり浅いのだけど・・・。
新OP透明だった世界
自来也はきっと『うずまきナルト物語』を彼岸で書いているのだと分かったらまた涙が出てきた。前のサクラのEDと重なってるんだな・・・。あの時は綱手ももうこのまま行ってしまうのかもしれないと(原作で)思ってたからそこからの快癒がやっぱりスゴイな・・・そうか意識不明状態の綱手が向こう側に渡ろうとしたのをに子供自来也と子供大蛇丸が来てくれて三忍でちょっと遊んだあと、還らせたのかな・・・。そういう解釈ですかね。アニメのOP/EDは原作の展開とも連動してあるように見えるのでそうかもしれない。
やはり二次創作なんだよな。
彼岸で自来也は次回作を書くことにした。
自来也の紡ぐ言葉が。コード化された情報『うずまきナルト物語』としてあの世界の外側からナルトの世界をとりまいて、それが現実化する。
そういう超展開を希望・・・何アニメそれは!?
一昨日はアスマのことについてつらつら考えたが、自来也の死のことについてもいろいろと考えた。連動しているものだからな・・・。
全ての死が(生も)連動したものだからな。
自来也のことに関してはとりあえずまだまだ浅いところでしか理解していないから。とりあえずは大蛇丸について。
これもまだやっぱり浅いのだけど・・・。
設問:あのひとは死んだのか?
回答例:まだ死んでいないと思う。
死。全部の人間がいつか死ぬ。だが、大蛇丸はまだ『死んでいない』のだと思う。言い方を変えれば、『死ねていない』のだとも言える。
人間としての『死』というものを越えようとした結果が、あのひとである。
彼は『死』を越えた。だがそれは同時に『死ねなくなった』のでもある。
『死』と云う概念の解釈は人それぞれだと思う。
あくまでも個人的印象での考察の話。
私の中では、『大蛇丸』というひとは、一番最初にあの禁術を使って『一人目』の身体に乗り移ったとき、『生まれた時の大蛇丸・両親に生み出してもらった大蛇丸・子供の・少年の・青年期・猿飛ヒルゼンと千手綱手と自来也の知っている大蛇丸・木ノ葉を抜けて“暁”に所属してサソリの相方になりカブトと出会った大蛇丸』は死んだのだと思っている。
後に残っているひとは新しい生命になったのだ。
『一人目』の身体に『大蛇丸』が乗り移ることによって、『新しい生命体・大蛇丸』になった。そして2人目の『少年』に乗り移った。
これが木ノ葉崩しの時の大蛇丸のことだ。
私はこの少年が、『イタチの代わりの器』だったのだと思っている。
この存在のことを『大蛇丸/少年』とでも言おうか。
この『/少年』が重要な因子になる。
『生まれた時の大蛇丸』というものはすでに死亡している。忍術の開発の果てに大蛇丸は自己を・自己を形成してきた過去を・捨て去ったのだ。そして『大蛇丸』という存在はすなわち『生まれてからの大蛇丸』子供―少年―青年―抜け忍の一連の流れで培ってきたもの=『力』である。膨大な力と術を読解する能力と、かつての大蛇丸の意識体が『少年』に、その前にいた『一人目の力と知識』共々に与えられたのだ。あの術は『肉体を乗っ取る』が『意識を共有して残留思念が残る』こともリスクの中にあるのだ。
支配権は意識の位の高いものが掌握するだけのこと。
それはいつ何時誰かに逆侵食されてもおかしくは無い術である。
『大蛇丸/少年』となったこの生命体は、野望を抱いた。
『/少年』にも野望があったのだろうと思われる。『一人目』のことは分からないが、推察をする限りにおいては『大蛇丸/一人目』は“暁”の一員だった。イタチを『2人目の器として狙っていた』と仮定することで、次の仮説が定義できる・ことだけは確認できる。『大蛇丸/一人目』はおそらくは術の研究員であり戦闘員であったのだろう。その頃の“暁”が何を目的として活動していたかは分からないが、傭兵派遣の側面が強かったのかもしれない。彼は抜け忍達の集団ではあるがきちんと組織に所属し、サソリとの関係も均衡を保っていた。
『一人目』は“暁”もしくは“旧暁”のメンバーだったのでは無いかと仮定できる。年齢も15~17よりも上で“暁”の思想と理念を理解していた男が『一人目』なのではないだろうか。長門・弥彦・小南のような青年を想定すればいい。
うちはイタチという存在に心を惹かれたのはこの『大蛇丸/一人目』である。研究者としての大蛇丸の理解者だったのかもしれない。もしかすると、『一人目』は木ノ葉隠れの里に居た頃からの部下・もしくは同志のようなものかもしれない。カブトがやがてそうなって行ったような、アンコがそうなってくれることを望んだような。忠実な部下・優秀な若い・大蛇丸の最初の秘密の弟子。
だったのではないだろうか。師と融合を望むような。
『彼ら』という、『融合体』はうちはを求めた。ずっと『うちはの眼』と『うちはの肉体』になりたかった。木ノ葉に居た時の大蛇丸はその術をまだ手にいれていなかったか、うちはの人間をどうにかしようとはしていなかった。
うちはにとりつかれたのは、『/一人目』だったと仮定は出来る。
木ノ葉出身の人間なのではないかと云うのはそういうことだ。
もしかすれば千手一族縁のものかもしれない。千手とうちはは焦がれて惹かれるものだから。ヤマト隊長のような存在を作る手助けをした男かもしれない。
そして敗北した。手にいれることが出来なかった。
『一人目』をこの設定で想像すると、うちはに対する大蛇丸の念のようなものが理解する手がかりになる。憑り依かれているのは大蛇丸も同じなのだ。
うちはに心を奪われた、奪われてひとつになりたいと望み願った千手系の男。
敗北した大蛇丸は手を落とされ器を変えなくてはならなくなった。“暁”を抜け、新しい器を手に入れ『大蛇丸/少年』となった。『一人目』の身体はここで捨て去る。『一人目』はここで死んだ。微かに残留思念だけが残る。
器を変えたことによって心の変化が起こる。
大蛇丸は“暁”を抜けた。
もちろんそれはイタチに敗北した以上“暁”にいても仕方が無いからであるが、それは『/少年』の意識がそうさせた部分もあるだろうと思われる。
『少年』
『少年』は誰なのか? それも分からない。かつての姿が登場していないからだ。推察するしかない。何処かの国の何処かの里のとても優秀な何処かの天才だったのだろう。天才の孤独や痛みや驕りを普通に持っていただろう。夢や野望があっただろう。そして大蛇丸の器になった。イタチの代わりに。
『/少年』は、『力』を手にした。膨大な『力』
本来長い年数をかけて手にするべき知識や能力を一瞬で手に入れた。
これはサスケが大蛇丸の力を手にしてた状態と良く似ている。『蛇』を組織していた時代のサスケだ。今までのサスケの印象とはやや遠い、『サスケ/大蛇丸』の頃。16才。
膨大な『力』を手にした16才だ。
『少年』はせいぜい15才くらいだった。15の『少年』が力を手に入れて、想うことはだいたいが想像つくだろう。
夢・野望・理想を叶えようと思った。同時に『大蛇丸』に器にされ肉体をのっとられ、自我のほとんどと身体の自由を失った。そして、微かな意識体が大蛇丸の精神に根づいた。(精神世界居空間の顔がそれである)
だが同時に『/少年』は『大蛇丸』を操ることの出来る立場をも手にいれた。微弱ではあるが。『大蛇丸』にとって一番みじかな存在に。内なる声に。
完全に操ることはできなくても、微かにそれをすることは出来る。
そして、行動を移した。
それが『木ノ葉崩し』である。と仮定することは可能だ。
『/少年』について
『師』を殺させようとしたのが『/少年』である。
『故郷』と壊させようとしたのが『/少年』である。
『師の師たちを呼び出して根底から木ノ葉を否定しようとした』のが『/少年』である。
『動乱の世界』を求めたのも『/少年』である。
『うちはサスケ』を求めたのが、あの15才の『/少年』である。
こう仮定することは出来るのだ。
もちろん大蛇丸自身の意思もあるだろうが、深く繋がりあい一つの生命になるということはそう言うことだ。
『/少年』が悪意を持ってそうしたと、言いたいわけではない。ただ、『少年』はこれらを『大蛇丸』にさせたいと思った可能性は捨てられない。もしかしたら『少年』は大蛇丸の手によって故郷を失い師を殺されたのかもしれない。
大蛇丸でなくても、戦争中に木ノ葉の英雄・はたけカカシにそうされたのかもしれない。猿飛一族、自来也綱手、波風ミナト、いのしかちょう、犬塚日向油女一族、うちは一族に。
そうされたのかもしれない。
そしてそうではなくても、木ノ葉にそうされたのかもしれない。
木ノ葉でなくても、忍び世界そのものにそうされたのかもしれない。
『/少年』の求めた動乱は、砂隠れにも向かっていたのだから。
少年自身も忍びでも、そういうことは良く起こる事実だと原作でもアニメでも繰り返し描かれている。『少年』もまた、この世界そのものに『復讐』もしくは『インパクト』を与えたいと考え、『大蛇丸』と共にそうした。
『/少年』はそして自分の次の器であるサスケを強く求めた。
自分と同じこの境遇に、なって欲しいと求めたと考えられる。
『/少年』にとってサスケは、『大蛇丸/一人目』の膨大な意識に影響を受けて心を惹かれたこともあるだろうが、私は『/少年』本人がサスケに恋情を持ったからだと思う。『/少年』は周りのキャラクターが『少年』と言ったので男だと推察されるが、この子は『少女』かもしれない。もちろん、少年から少年への恋でまったくかまわない。
天才少年から天才少年へ。
白とサスケが共感したものの、暗黒Verだ。
この恋は実らなかった。ナルトもサクラも大蛇丸も少年も、結局はサスケがイタチに向かっていく気持ちからこの時は勝つことが出来なかった。
『/少年』も死亡する。呪いの術で忍術を奪われ、自来也と綱手(少年にとっても同志と認識される相手・兄姉弟妹に近いもの)に拒絶され。
サスケを求め同世代の器候補たちを死地に追いやりついには絶えた。
微かな残留思念だけが残る。
『大蛇丸/少年』から『大蛇丸/幻幽丸』へ。
また変化が起こった。明らかに変わったと捉えるのは、作風の変化やテーマの変化、作者の力量の変化、時代の変化でもあるだろうから一概には言えないが。
『大蛇丸/幻幽丸』は『大蛇丸/少年』とはまた別個の存在である。
幻幽丸のことを考えよう。彼は『少年』とは違い実際の幻幽丸が登場している。彼は虜囚だった。実験体のひとり。一族もろともに大蛇丸の手に落ち、他の実験体仲間を全て殺してでも彼の一族を助けようとした男だ。17才。
最後の望みは『自分の一族を解放すること』この望みは叶ったのだろう。そして幻幽丸は『大蛇丸/幻幽丸』となった。彼の行動理念は『少年』のものとは全く違う。彼は『大蛇丸に対しての復讐』など望まない・・・と私には感じられた。
『幻幽丸』のことを想像すると、彼には兄や弟や父や母や姉や妹がいたのでは無いかと想像出来る。彼は一族の精鋭で、一族のことを想う力があり、一族に想われていたのだろう。そういう男が『大蛇丸』の力を手にいれてしたことは、とにかくサスケを育て上げること、自分の次の器ではあるが、『一族殺しの兄への復讐』というサスケの背景に共感したのではないかと仮定できる。
『幻幽丸』は17才。『少年』・『サスケ』は15才。これは差として大きい。境遇も違うだろう。感覚も。倫理観も人生観も夢もなにもかも違っただろう。『幻幽丸』はカブトに対しても、少しだけ年上の、自分たちを支配する看守の男を降したい気持ちも抱いていただろう。そして『大蛇丸/幻幽丸』になることによりカブトを従えることも出来た。一族を救うことも出来た。
あとはサスケだ。『幻幽丸』は自分の次に器になるサスケに共感を抱く。それははそのまま『大蛇丸』の意識となる。『大蛇丸/少年』だった頃と変化した。
17才の少年が13才の少年の師になったのだ。この幻幽丸の年齢は=イタチの年齢とほぼ符号する。うちはイタチに対して幻幽丸なりに同世代として、一族想いの少年として、許せない想いを抱き、サスケに加担した。
『/幻幽丸』はサスケを弟と想っていたかもしれない。
弟子と感じていたのかもしれない。
『大蛇丸』にしても、身の内から湧き上がって来て止まらないどうしようもない気持ち、『木ノ葉への復讐』に憑り依れる気持ちよりも、『仇討ちの助っ人』であることを選んだ気がする。もちろんサスケの身体をのっとってそれを行うのだが、サスケがそれを肯定する限りに置いてはこの契約は成り立つ。
そして愛されてきた記憶と愛していた記憶を持っていたのでは無いかと想像する『幻幽丸』の意識が、大蛇丸を癒していった。内部の『一人目』も、『少年』も。それに同調していたのだと。想える。幻幽丸は少年と大蛇丸の内部で共にあることで、あの哀しい少年を癒していったと仮定できる。
おそらくは20代の『/一人目』15才の『/少年』17才の『/幻幽丸』そして51~54才『大蛇丸』これら四つの意識体が渾然一体となった存在が『大蛇丸/幻幽丸』である。まだ意識の支配権は大蛇丸が握っている。幻幽丸もまた、大蛇のパワーに萎縮してしまった位の精神力の持ち主だからだ。
だが『/幻幽丸』も『大蛇丸』を操ることは出来る。
その行動を。感覚を。微かに誘導することが出来る。
『/幻幽丸』の方法論は『/少年』とはちがう。彼は次の器であるサスケの為の存在になろうとした。そして、・・・大蛇丸の内部で大蛇丸を抑える役割を担った。外部では、カブトがそれをした。のだとも見える。カブトは常に『大蛇丸』に依存しながらも制御しようと試みていた兆しが見えるからだ。
『幻幽丸』とカブトの物語はとりあえず置いておく。
『大蛇丸/幻幽丸』はそしてサスケに倒された。
この時カブトはその側を離れその隙を狙ってサスケは来た。そして対峙と戦闘と儀式が行われた。
結果サスケは一時的に『サスケ/大蛇丸』として融合生命体の勝利者となった。正確には『サスケ/大蛇丸/幻幽丸/少年/一人目』である。大蛇丸は押さえのチャクラが無くなればサスケを逆侵食することが出来たので、『サスケ≧大蛇丸/幻幽丸/少年/一人目』で方が正確かもしれない。
逆侵食が可能であったが、イタチによってサスケは大蛇丸から引き剥がされる。今までずっと側にあった『力』が呪印もろともに無くなり、兄が死に、そして虚脱状態に陥った所を兄の真実を聞かされサスケは暴走を始める。もうサスケを縛っていたものは無くなった。これからは自分の力で生きていかないといけない。涙を流すサスケに同調する『蛇/鷹』がその助けになろうとした。
もう大蛇丸の力はサスケには必要が無くなった。
それはイタチの判断だが。サスケももう大蛇丸を求めなくなった。
サスケはイタチだけを求めるようになった。
ずっと兄だけを求めて、今でもずっと求めている。
兄の力も眼も、何もかもを。いまやサスケの『力』はイタチの残したもの全てだ。イタチの思想までは継承できなかったが、それを手にいれることが出来ればきっとサスケはイタチの全てを手にいれることが出来るだろう。
設問:では大蛇丸はどうなったのだ?
イタチの“須佐能乎”の持つ十拳剣に突き刺され永遠の酔夢の幻術世界に飛ばされ封印された。が答えだ。それは肉体を伴った融合生命体が飛ばされたのだ。『大蛇丸/幻幽丸/少年/一人目』は其処にいる。
其れは『生きている』と定義出来る状態だろうか? 分からない。だがしかし、『生まれた時の大蛇丸』というひとはもう『死んでいる』と感じる。
アニメのEDで、見せたように子供の自来也と二人で旅立ってしまった。
そう思える。
あのひと、不可思議な生命体の『大蛇丸』は幻術世界に飛ばされ封じられてしまった。だが、まだ生きている。そう想っている。彼の生がこの先、また戻ってくる可能性は捨てきれない。それはどういう形かは原作者の手に委ねられている。
ただ、カブトの中に存在している超えるべき存在としての『大蛇丸』が『カブト』を乗っ取るという予測はあまり感じていない。
それはやはり『カブト』だと想う。何処まで行っても。
カブトが自分の中で作り上げた、『カブト/大蛇丸』若しくは『大蛇丸/カブト』になることはあっても、それは『大蛇丸』ではない。何処までも『カブト』なのだと想う。
細胞が意識を持ち『カブト』を乗っ取る・・・と云う展開はあるかもしれないが、実際にそれをされない限りに置いては私は否定するかな。ただ、姿形は何処までも『大蛇丸/幻幽丸』に近づいていくだろう。それはいわば皮膜だ。大蛇丸が身に纏っていた、あの皮膜のようなもの。
カブトの核になる『カブト』というものそのものを、細胞がどんなに侵食しようと手は出せないのだと想う。それはさみしいことかもしれない。何処までも何処までも、大蛇丸とカブトはひとつには成れない。
だが、それでいいのだとも想う。ひとつになれない。成ろうとしても成れない。だが不完全でも、成ろうとしてる。それでいいのだろう。
『あの方は再生の象徴 僕の超えるべき存在として僕の中で生き続ける』
これはカブトの言葉だが、そう規定した。
だから、大蛇丸は生きている。
死んでいない。だが、死ねなくなった。
そういうことでもあると想う。以上。考察~終わり!!
不完全な部分もあるがとりあえず終了♪ だらだら長くてごめんなさい!読んでくれてありがとう!!
回答例:まだ死んでいないと思う。
死。全部の人間がいつか死ぬ。だが、大蛇丸はまだ『死んでいない』のだと思う。言い方を変えれば、『死ねていない』のだとも言える。
人間としての『死』というものを越えようとした結果が、あのひとである。
彼は『死』を越えた。だがそれは同時に『死ねなくなった』のでもある。
『死』と云う概念の解釈は人それぞれだと思う。
あくまでも個人的印象での考察の話。
私の中では、『大蛇丸』というひとは、一番最初にあの禁術を使って『一人目』の身体に乗り移ったとき、『生まれた時の大蛇丸・両親に生み出してもらった大蛇丸・子供の・少年の・青年期・猿飛ヒルゼンと千手綱手と自来也の知っている大蛇丸・木ノ葉を抜けて“暁”に所属してサソリの相方になりカブトと出会った大蛇丸』は死んだのだと思っている。
後に残っているひとは新しい生命になったのだ。
『一人目』の身体に『大蛇丸』が乗り移ることによって、『新しい生命体・大蛇丸』になった。そして2人目の『少年』に乗り移った。
これが木ノ葉崩しの時の大蛇丸のことだ。
私はこの少年が、『イタチの代わりの器』だったのだと思っている。
この存在のことを『大蛇丸/少年』とでも言おうか。
この『/少年』が重要な因子になる。
『生まれた時の大蛇丸』というものはすでに死亡している。忍術の開発の果てに大蛇丸は自己を・自己を形成してきた過去を・捨て去ったのだ。そして『大蛇丸』という存在はすなわち『生まれてからの大蛇丸』子供―少年―青年―抜け忍の一連の流れで培ってきたもの=『力』である。膨大な力と術を読解する能力と、かつての大蛇丸の意識体が『少年』に、その前にいた『一人目の力と知識』共々に与えられたのだ。あの術は『肉体を乗っ取る』が『意識を共有して残留思念が残る』こともリスクの中にあるのだ。
支配権は意識の位の高いものが掌握するだけのこと。
それはいつ何時誰かに逆侵食されてもおかしくは無い術である。
『大蛇丸/少年』となったこの生命体は、野望を抱いた。
『/少年』にも野望があったのだろうと思われる。『一人目』のことは分からないが、推察をする限りにおいては『大蛇丸/一人目』は“暁”の一員だった。イタチを『2人目の器として狙っていた』と仮定することで、次の仮説が定義できる・ことだけは確認できる。『大蛇丸/一人目』はおそらくは術の研究員であり戦闘員であったのだろう。その頃の“暁”が何を目的として活動していたかは分からないが、傭兵派遣の側面が強かったのかもしれない。彼は抜け忍達の集団ではあるがきちんと組織に所属し、サソリとの関係も均衡を保っていた。
『一人目』は“暁”もしくは“旧暁”のメンバーだったのでは無いかと仮定できる。年齢も15~17よりも上で“暁”の思想と理念を理解していた男が『一人目』なのではないだろうか。長門・弥彦・小南のような青年を想定すればいい。
うちはイタチという存在に心を惹かれたのはこの『大蛇丸/一人目』である。研究者としての大蛇丸の理解者だったのかもしれない。もしかすると、『一人目』は木ノ葉隠れの里に居た頃からの部下・もしくは同志のようなものかもしれない。カブトがやがてそうなって行ったような、アンコがそうなってくれることを望んだような。忠実な部下・優秀な若い・大蛇丸の最初の秘密の弟子。
だったのではないだろうか。師と融合を望むような。
『彼ら』という、『融合体』はうちはを求めた。ずっと『うちはの眼』と『うちはの肉体』になりたかった。木ノ葉に居た時の大蛇丸はその術をまだ手にいれていなかったか、うちはの人間をどうにかしようとはしていなかった。
うちはにとりつかれたのは、『/一人目』だったと仮定は出来る。
木ノ葉出身の人間なのではないかと云うのはそういうことだ。
もしかすれば千手一族縁のものかもしれない。千手とうちはは焦がれて惹かれるものだから。ヤマト隊長のような存在を作る手助けをした男かもしれない。
そして敗北した。手にいれることが出来なかった。
『一人目』をこの設定で想像すると、うちはに対する大蛇丸の念のようなものが理解する手がかりになる。憑り依かれているのは大蛇丸も同じなのだ。
うちはに心を奪われた、奪われてひとつになりたいと望み願った千手系の男。
敗北した大蛇丸は手を落とされ器を変えなくてはならなくなった。“暁”を抜け、新しい器を手に入れ『大蛇丸/少年』となった。『一人目』の身体はここで捨て去る。『一人目』はここで死んだ。微かに残留思念だけが残る。
器を変えたことによって心の変化が起こる。
大蛇丸は“暁”を抜けた。
もちろんそれはイタチに敗北した以上“暁”にいても仕方が無いからであるが、それは『/少年』の意識がそうさせた部分もあるだろうと思われる。
『少年』
『少年』は誰なのか? それも分からない。かつての姿が登場していないからだ。推察するしかない。何処かの国の何処かの里のとても優秀な何処かの天才だったのだろう。天才の孤独や痛みや驕りを普通に持っていただろう。夢や野望があっただろう。そして大蛇丸の器になった。イタチの代わりに。
『/少年』は、『力』を手にした。膨大な『力』
本来長い年数をかけて手にするべき知識や能力を一瞬で手に入れた。
これはサスケが大蛇丸の力を手にしてた状態と良く似ている。『蛇』を組織していた時代のサスケだ。今までのサスケの印象とはやや遠い、『サスケ/大蛇丸』の頃。16才。
膨大な『力』を手にした16才だ。
『少年』はせいぜい15才くらいだった。15の『少年』が力を手に入れて、想うことはだいたいが想像つくだろう。
夢・野望・理想を叶えようと思った。同時に『大蛇丸』に器にされ肉体をのっとられ、自我のほとんどと身体の自由を失った。そして、微かな意識体が大蛇丸の精神に根づいた。(精神世界居空間の顔がそれである)
だが同時に『/少年』は『大蛇丸』を操ることの出来る立場をも手にいれた。微弱ではあるが。『大蛇丸』にとって一番みじかな存在に。内なる声に。
完全に操ることはできなくても、微かにそれをすることは出来る。
そして、行動を移した。
それが『木ノ葉崩し』である。と仮定することは可能だ。
『/少年』について
『師』を殺させようとしたのが『/少年』である。
『故郷』と壊させようとしたのが『/少年』である。
『師の師たちを呼び出して根底から木ノ葉を否定しようとした』のが『/少年』である。
『動乱の世界』を求めたのも『/少年』である。
『うちはサスケ』を求めたのが、あの15才の『/少年』である。
こう仮定することは出来るのだ。
もちろん大蛇丸自身の意思もあるだろうが、深く繋がりあい一つの生命になるということはそう言うことだ。
『/少年』が悪意を持ってそうしたと、言いたいわけではない。ただ、『少年』はこれらを『大蛇丸』にさせたいと思った可能性は捨てられない。もしかしたら『少年』は大蛇丸の手によって故郷を失い師を殺されたのかもしれない。
大蛇丸でなくても、戦争中に木ノ葉の英雄・はたけカカシにそうされたのかもしれない。猿飛一族、自来也綱手、波風ミナト、いのしかちょう、犬塚日向油女一族、うちは一族に。
そうされたのかもしれない。
そしてそうではなくても、木ノ葉にそうされたのかもしれない。
木ノ葉でなくても、忍び世界そのものにそうされたのかもしれない。
『/少年』の求めた動乱は、砂隠れにも向かっていたのだから。
少年自身も忍びでも、そういうことは良く起こる事実だと原作でもアニメでも繰り返し描かれている。『少年』もまた、この世界そのものに『復讐』もしくは『インパクト』を与えたいと考え、『大蛇丸』と共にそうした。
『/少年』はそして自分の次の器であるサスケを強く求めた。
自分と同じこの境遇に、なって欲しいと求めたと考えられる。
『/少年』にとってサスケは、『大蛇丸/一人目』の膨大な意識に影響を受けて心を惹かれたこともあるだろうが、私は『/少年』本人がサスケに恋情を持ったからだと思う。『/少年』は周りのキャラクターが『少年』と言ったので男だと推察されるが、この子は『少女』かもしれない。もちろん、少年から少年への恋でまったくかまわない。
天才少年から天才少年へ。
白とサスケが共感したものの、暗黒Verだ。
この恋は実らなかった。ナルトもサクラも大蛇丸も少年も、結局はサスケがイタチに向かっていく気持ちからこの時は勝つことが出来なかった。
『/少年』も死亡する。呪いの術で忍術を奪われ、自来也と綱手(少年にとっても同志と認識される相手・兄姉弟妹に近いもの)に拒絶され。
サスケを求め同世代の器候補たちを死地に追いやりついには絶えた。
微かな残留思念だけが残る。
『大蛇丸/少年』から『大蛇丸/幻幽丸』へ。
また変化が起こった。明らかに変わったと捉えるのは、作風の変化やテーマの変化、作者の力量の変化、時代の変化でもあるだろうから一概には言えないが。
『大蛇丸/幻幽丸』は『大蛇丸/少年』とはまた別個の存在である。
幻幽丸のことを考えよう。彼は『少年』とは違い実際の幻幽丸が登場している。彼は虜囚だった。実験体のひとり。一族もろともに大蛇丸の手に落ち、他の実験体仲間を全て殺してでも彼の一族を助けようとした男だ。17才。
最後の望みは『自分の一族を解放すること』この望みは叶ったのだろう。そして幻幽丸は『大蛇丸/幻幽丸』となった。彼の行動理念は『少年』のものとは全く違う。彼は『大蛇丸に対しての復讐』など望まない・・・と私には感じられた。
『幻幽丸』のことを想像すると、彼には兄や弟や父や母や姉や妹がいたのでは無いかと想像出来る。彼は一族の精鋭で、一族のことを想う力があり、一族に想われていたのだろう。そういう男が『大蛇丸』の力を手にいれてしたことは、とにかくサスケを育て上げること、自分の次の器ではあるが、『一族殺しの兄への復讐』というサスケの背景に共感したのではないかと仮定できる。
『幻幽丸』は17才。『少年』・『サスケ』は15才。これは差として大きい。境遇も違うだろう。感覚も。倫理観も人生観も夢もなにもかも違っただろう。『幻幽丸』はカブトに対しても、少しだけ年上の、自分たちを支配する看守の男を降したい気持ちも抱いていただろう。そして『大蛇丸/幻幽丸』になることによりカブトを従えることも出来た。一族を救うことも出来た。
あとはサスケだ。『幻幽丸』は自分の次に器になるサスケに共感を抱く。それははそのまま『大蛇丸』の意識となる。『大蛇丸/少年』だった頃と変化した。
17才の少年が13才の少年の師になったのだ。この幻幽丸の年齢は=イタチの年齢とほぼ符号する。うちはイタチに対して幻幽丸なりに同世代として、一族想いの少年として、許せない想いを抱き、サスケに加担した。
『/幻幽丸』はサスケを弟と想っていたかもしれない。
弟子と感じていたのかもしれない。
『大蛇丸』にしても、身の内から湧き上がって来て止まらないどうしようもない気持ち、『木ノ葉への復讐』に憑り依れる気持ちよりも、『仇討ちの助っ人』であることを選んだ気がする。もちろんサスケの身体をのっとってそれを行うのだが、サスケがそれを肯定する限りに置いてはこの契約は成り立つ。
そして愛されてきた記憶と愛していた記憶を持っていたのでは無いかと想像する『幻幽丸』の意識が、大蛇丸を癒していった。内部の『一人目』も、『少年』も。それに同調していたのだと。想える。幻幽丸は少年と大蛇丸の内部で共にあることで、あの哀しい少年を癒していったと仮定できる。
おそらくは20代の『/一人目』15才の『/少年』17才の『/幻幽丸』そして51~54才『大蛇丸』これら四つの意識体が渾然一体となった存在が『大蛇丸/幻幽丸』である。まだ意識の支配権は大蛇丸が握っている。幻幽丸もまた、大蛇のパワーに萎縮してしまった位の精神力の持ち主だからだ。
だが『/幻幽丸』も『大蛇丸』を操ることは出来る。
その行動を。感覚を。微かに誘導することが出来る。
『/幻幽丸』の方法論は『/少年』とはちがう。彼は次の器であるサスケの為の存在になろうとした。そして、・・・大蛇丸の内部で大蛇丸を抑える役割を担った。外部では、カブトがそれをした。のだとも見える。カブトは常に『大蛇丸』に依存しながらも制御しようと試みていた兆しが見えるからだ。
『幻幽丸』とカブトの物語はとりあえず置いておく。
『大蛇丸/幻幽丸』はそしてサスケに倒された。
この時カブトはその側を離れその隙を狙ってサスケは来た。そして対峙と戦闘と儀式が行われた。
結果サスケは一時的に『サスケ/大蛇丸』として融合生命体の勝利者となった。正確には『サスケ/大蛇丸/幻幽丸/少年/一人目』である。大蛇丸は押さえのチャクラが無くなればサスケを逆侵食することが出来たので、『サスケ≧大蛇丸/幻幽丸/少年/一人目』で方が正確かもしれない。
逆侵食が可能であったが、イタチによってサスケは大蛇丸から引き剥がされる。今までずっと側にあった『力』が呪印もろともに無くなり、兄が死に、そして虚脱状態に陥った所を兄の真実を聞かされサスケは暴走を始める。もうサスケを縛っていたものは無くなった。これからは自分の力で生きていかないといけない。涙を流すサスケに同調する『蛇/鷹』がその助けになろうとした。
もう大蛇丸の力はサスケには必要が無くなった。
それはイタチの判断だが。サスケももう大蛇丸を求めなくなった。
サスケはイタチだけを求めるようになった。
ずっと兄だけを求めて、今でもずっと求めている。
兄の力も眼も、何もかもを。いまやサスケの『力』はイタチの残したもの全てだ。イタチの思想までは継承できなかったが、それを手にいれることが出来ればきっとサスケはイタチの全てを手にいれることが出来るだろう。
設問:では大蛇丸はどうなったのだ?
イタチの“須佐能乎”の持つ十拳剣に突き刺され永遠の酔夢の幻術世界に飛ばされ封印された。が答えだ。それは肉体を伴った融合生命体が飛ばされたのだ。『大蛇丸/幻幽丸/少年/一人目』は其処にいる。
其れは『生きている』と定義出来る状態だろうか? 分からない。だがしかし、『生まれた時の大蛇丸』というひとはもう『死んでいる』と感じる。
アニメのEDで、見せたように子供の自来也と二人で旅立ってしまった。
そう思える。
あのひと、不可思議な生命体の『大蛇丸』は幻術世界に飛ばされ封じられてしまった。だが、まだ生きている。そう想っている。彼の生がこの先、また戻ってくる可能性は捨てきれない。それはどういう形かは原作者の手に委ねられている。
ただ、カブトの中に存在している超えるべき存在としての『大蛇丸』が『カブト』を乗っ取るという予測はあまり感じていない。
それはやはり『カブト』だと想う。何処まで行っても。
カブトが自分の中で作り上げた、『カブト/大蛇丸』若しくは『大蛇丸/カブト』になることはあっても、それは『大蛇丸』ではない。何処までも『カブト』なのだと想う。
細胞が意識を持ち『カブト』を乗っ取る・・・と云う展開はあるかもしれないが、実際にそれをされない限りに置いては私は否定するかな。ただ、姿形は何処までも『大蛇丸/幻幽丸』に近づいていくだろう。それはいわば皮膜だ。大蛇丸が身に纏っていた、あの皮膜のようなもの。
カブトの核になる『カブト』というものそのものを、細胞がどんなに侵食しようと手は出せないのだと想う。それはさみしいことかもしれない。何処までも何処までも、大蛇丸とカブトはひとつには成れない。
だが、それでいいのだとも想う。ひとつになれない。成ろうとしても成れない。だが不完全でも、成ろうとしてる。それでいいのだろう。
『あの方は再生の象徴 僕の超えるべき存在として僕の中で生き続ける』
これはカブトの言葉だが、そう規定した。
だから、大蛇丸は生きている。
死んでいない。だが、死ねなくなった。
そういうことでもあると想う。以上。考察~終わり!!
不完全な部分もあるがとりあえず終了♪ だらだら長くてごめんなさい!読んでくれてありがとう!!
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薬師カブト愛がちとひどい生き物
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性格:サソリ様か大蛇丸様かというとどっちかって言うとサソリ様なんじゃねェのかな年近ェし…
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